Project活動内容

「黄金の島、再生プロジェクト」とは?

瀬戸内海中部に浮かぶ、全周約26km、人口3000人程の「大崎下島」。この島はかつて、柑橘栽培100年以上の歴史を誇り、日本一の収穫量を誇るレモンの生産地として、「黄金の島」と呼ばれていました。

しかし、生産者の高齢化や後継者不足の問題から、大崎下島で現在も稼働している柑橘畑は全盛期の3分の1程度まで落ち込んでいます。そこで、消えゆく伝統の灯火を絶やさぬよう、黄金の島再生に向け、耕作放棄地を再生すべく、私たちは立ち上がったのです!

黄金の島 再生プロジェクト

じいちゃんとばあちゃんが紡いできた歴史が、
いつか消えてしまうかもしれない。

農家の方々が抱える深刻な状況を耳にしたのは、今から8年前。「これで何かを作って欲しい」と、規格外の柑橘を持って店舗に来られたのが始まりでした。

はじめまして、秦 利宏と申します。瀬戸内海の中部に浮かぶ「大崎下島」のお隣「豊島」の出身です。30年余り、地元広島の食材を使ったお菓子やパン作りに携わり、1995年にとびしま海道(2008年に完成した本州側の広島県呉市と瀬戸内海の西部に位置する諸島を結ぶ7つの橋の総称)の入り口、川尻町に自分の店舗をオープンさせました。

その後、2008年に本州と瀬戸内海の西部に位置する島々が繋がったことを機に、お菓子やパン作りにと、各島の柑橘農家の方々が収穫をしたみかんやレモンを持って足を運んできてくれるようになりました。

こうして徐々に取引農家の方々が増え、多くの柑橘農家さんと話をするようになると、みなさんお会いする毎にため息まじりに、「生産者の高齢化や後継者不足、外国産柑橘類の輸入販売による国産柑橘価格の下落」など、柑橘農家の方々が抱える課題を口にしていきました。

100年以上島々を支えてきた、重要な伝統産業がなくなる・・・


今のままでは、そんな日が来ることがあるかもしれないのなら、 私たちはなんとかしたい!

農家さんたちの話を聞き、その思いを無駄にしないためにはどうしたらいいのかと思った私は、異業種の友人や農家さんたち数人に声をかけ、柑橘のなかでも特にレモンに注目し、「愛とレモンで島おこし」をキャッチフレーズに、地元をはじめ日本全国に広島レモンを広める活動を行う「とびしま柑橘倶楽部」を立ち上げました。

結成後、とびしま柑橘倶楽部では月に1回程度農家さんを中心にミーティングを行っています。そのミーティングの中では、今年の柑橘の栽培状況や商品開発、イベントなどの話題や農家が抱える課題について語り合い、短期・中長期にわたるビジョンを見据え、レモンの広報活動や6次産業化、販路拡大など、まずできる事を一歩一歩すすめて来ました。

そんな私たちが次に目指すのは、かつての輝きを失くし荒れ地となったレモン畑の再生です。

柑橘栽培が盛んだった瀬戸内海の島々。
なかでも、「大崎下島」は島全体に段々畑が広がり、収穫を迎える頃には、黄色く色づいた柑橘の輝きから「黄金の島」と呼ばれていました。

広島県のレモン栽培量は4000tを超え、国内シェア率65%と日本1位の生産量を誇っています。なかでも、大崎下島は広島県内のレモンの約50%を出荷する一大産地です。農家の高齢化が進み柑橘農家や栽培地は減少傾向にありますが、栽培が容易で害獣被害が少ないレモンの生産量はここ10年間は右肩のぼりです。

しかしそんな中、現在では柑橘農家の平均年齢は75歳に手が届き、畑は最盛期の3分の1程度まで減少しています。また5年前と比較しても、島の柑橘農家の数は20%減という状況です。このままでは、島のじいちゃんとばあちゃんたちが美味しい柑橘を育てるためにと、長い年月をかけ、一つ一つ積み上げながら守り継いできた、石段の畑がどんどん山になってしまいます。

年々、柑橘農家の数が減少を続けるなか、なぜいま行動を起こすことが大切なのか。
それは、レモンの木が成長するまでの期間と関係があります。

レモンの木はたくさんの実がなるまでに5〜10年ほどの時間がかかります。しかし現在、柑橘農家さんの高齢化により、その数は減り続けています。そんな今だからこそ、私たちはじいちゃんばあちゃんが健在なうちに長年の経験により培った知恵を借り、耕作放棄地となった畑をどんどん再生させていきたいと考えています。

さらにこれまでの活動が少しずつ実を結び、レモンを使った商品開発や地域おこしが活発におこなわれはじめています。レモンへの需要が高まる一方で生産者さんの数が減り、畑の数も減っていく、その状況を次の世代である私たちが変えていきたいのです。

今までを支えてきた世代からこれからを支える世代へ、
受け継がれる黄色いバトン。

地元広島の学生団体と一緒に、自分たちの背丈を超える程の雑草が生い茂る 荒れ地の再生を目指す戦いの日々がはじまります。

「島の宝である、柑橘やレモンを大切に繋げていきたい。」そんな思いをぶつけ合う中、このプロジェクトに広島県内の学生団体「STYLE」が参加を表明し、若い力と地域の底力が加わることがプロジェクト立ち上げの大きなきっかけとなりました。

今回私たちが目指すのは、数年耕作放棄された農園を苗木を植えられる状態まで再生させることです。例えば、農家さんが体調を崩され、畑の手入れを放棄した場合、ほんの1シーズン(約2年弱)で畑いっぱいに雑草が生い茂ります。

背丈は2mを超え、直径が20~30㎝くらいの木に育った雑草が生い茂るその姿は、小さな山のようです。こうした雑草を刈り取り、再び黄色く輝くレモンの実が一面に広がる、その日を迎えるために、ノコギリや鎌、時には重機やチェーンソー、草刈機を使い、畑の再生を目指します。

雑草が生い茂るなかに見つけた、懸命に生き抜く柑橘の木たち。

生い茂った草を刈っていくと、ときには数年前の柑橘の木が果実を実らせ顔を出すことがあります。過酷な状況のなかを生き抜いてきたその木々たちを、私たちは再び大切に育て収穫をします。

そして再生した畑にも、また新しい苗木を植え、愛情と手間と時間をかけ、島の太陽と風と土と協力し、もう一度光り輝くレモン(みかんなどの柑橘類も含む)を育てていきたいのです。全国のファンのみなさま、そして地元の加工業者のみなさまに、おいしいレモンをお届けし続けたいと思います。

黄金の島、おわりのはじまり

黄色く光り輝く「黄金の島」は、
復活がゴールではなく、そこから新しい物語がはじまるのです。

今回のプロジェクトは、島の人々が一つになり島を盛り上げていくストーリーの序章だと、私たちは考えています。耕作放棄地を再生することで、レモンの生産量も上がり、より多くのレモン加工品を世に送り出すことができます。 そして、自然に囲まれ美しく輝く島には、観光を目的とした人々が訪れます。さらに、島を訪れその魅力に魅了された人々が島に移住し、島で起業することも考えられます。
一次産業が二次産業三次産業の川上に存在すると考えれば、日本一のレモン農家が枯渇すれば川下の産業も衰退すると考えられるのです。だからこそ、この島のみかんやレモンは農家だけでなく地域の加工業者、小売店、観光業者とざまざまな方を豊かにする宝です。
この宝を守るため少しでも多くの耕作放棄地に黄金の実を育てたいと、私たちは強く思っています。長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます!みなさま、ぜひ応援よろしくお願いいたします。

黄金の島再生サポーターのみなさま この度は「島中がレモン色に輝く日よ再び。広島に眠る耕作放棄地を再生へ!」のテーマでおこないました私たちの耕作放棄地再生プロジェクトへのご賛同、ご期待、そしてご支援・ご購入をいただきありがとうございます。いただいたご支援は家族や地域、レモン、農業、食、文化、事業、経済など様々な思いの証であり、皆様の貴重な未来への夢や希望や期待に応えられるようメンバー一同取り組んでまいります。

現在とびしま海道の柑橘畑ではレモンの花が咲き小さな実になろうとしている時期ですが私たちの大崎下島ツクラの園地では先日植えたばかりのレモンの苗木は翌年、翌々年の開花、結実に向けて力を蓄えている状況です。おかげさまで皆様のお力で始まったばかりのプロジェクトです。今後とも私たちの活動にご理解とご協力をいただけますようお願い申しあげます。

皆様のご多幸を祈りつつメンバー一同レモンを育ててまいります。